2014年12月

2014年12月16日

「主君の太陽」


「主君の太陽」を視聴した、、、、。
17話分を丸1日で視聴したことになるから、面白かったということになる。
ただ、視聴し終わって思う事は、妙に「最高の愛」の世界を思い出すーーー
視聴すればいいのですが、一気視聴しないと気が済まない変わり者ゆえ
少々、忙しい時期に、これ以上は嵌りたくないという思いもある。

今更なのですが、ジソプssiのドラマを始めて観た。
雰囲気を演じる人なのだなぁというのが私の印象。
視聴者目線としては、0.5秒のキャプる面白さを追及するというよりは
流れる映像の雰囲気を楽しませてくれる人である。

そして、コンヒョジンssi、、、
私、「パスタ」は苦手でして、彼女の可愛さは「最高の愛」から知った。
特別、美人と言うわけではないと思う、、、
いや綺麗よ、、、でも、彼女以上の綺麗な人って沢山いる気がする。
でも、いい味出すなぁーーーと、しみじみ思う。

この「主君の太陽」は「最高の愛」のホン姉妹脚本
コンヒョジンssiに、クエジョンを重ねてしまうかと思ったが
全く、そのような心配は無用であった。
しかし、ジソプssiにトッコジンが重なる事が数度、、、。
わざとパロったのではと思えたのは私だけかしら。

よく考えられたドラマである。
出てくる幽霊が妙にリアルで「ギョ」っとする事、数度、、、。
ジソプssiが幽霊になり、彼女に別れを告げるところが最大に山場で
それ以降は急ハンドルを切りつつラストに向かいますので
ベバのマエストロ同様に大義名分が必要で、理由が明確じゃないと
いまいち収まりどころが悪い私としては、少しばかし戸惑うが
私的には、今年視聴したドラマの中では上位にランクインするドラマです。

しかし、、、、
ジソプssiって「美しいーーー」思わせる瞬間が確かに存在する。





cookpine at 11:12|Permalink主君の太陽 

2014年12月15日

伏線について考える


「君の声が聞こえる」「主君の太陽」を視聴しながら
「改過遷善」を思い出したように無理やり繋げるが
私の隣には「ベートーベン・ウィルス」がいつも居る。
そして、久々に「恋ノチカラ」を視聴した。

ここのところ、立て続けに韓国ドラマを視聴した事も有り
韓流の伏線について考えている。
韓流ドラマは、どこまで広げて張り巡らすという伏線の張り方をする。
ある意味、不必要でしょう、、、という伏線も一応張るのである。
そうなんですよね、韓国ドラマの放送回数延長やストーリーの手直し
そんな日本では考えられない事に対応する為には
不必要と思われる伏線も大切になってくるのだ。

だから、最終回間際になって今まで張り巡らした伏線を「バンバン」と切り捨てる。
それが韓国ドラマの面白さであり、「それ、、どうなりました」なんていう視聴者の
問いかけには見向きもしない潔さが面白くも有る。

しかし、その伏線をバンバン切る捨てる加減が難しいのだろう、、、、
話を複雑にすればするほど、伏線を切れなくなり、描きたい本質がボケてしまう。
これが正しく「改過遷善」だと思う。
このドラマ、盛り込み過ぎだし、何を言いたかったのか今になっても分からない。

「改過遷善」で描きたかったことを貫くためなら、父子の対立もある程度のところで
止めてしまう勇気が有ってもよかった気がする、、、。
背景としては重要であっても、ホームドラマではなくヒューマンドラマである「改過遷善」では
少なくとも最後は描きたい本質をもう少し視聴者に示す優しさがあってもいいと思う。
この中途半端さでは、ホームドラマにもヒューマンドラマにも値しなくなる、、、。

で、久々に視聴した「恋ノチカラ」であるが、私的には日本で1番好きなドラマであり
思い入れも強いのだが、このドラマに伏線の使い残しは存在しない。
要するに日本のドラマは計算しつくされ、広げた伏線は綺麗に使い切る、、、。
使い切らなくても、視聴者に「あれ、どうなりました?」なんて疑問は残させない。
それが面白いのか、面白くないのかが今の日本のドラマを語るテーマにもなりそうだが(笑)

そして、思い残すことないほどに「観終わった」感を感じるのが日本のドラマである。
しかし、その一方で韓国ドラマのように、その後の展開を彷徨ったりということは
余りないような気がする、、、。
伏線の使い方と、そこから感じる余韻も人好き好き、、、。
、、でも、視聴し終わり、ドラマからテーマを与えられた気分で考え続ける事はあっても
残された伏線やゴールへ到達するために急ハンドルを切られた気持ち悪さの理由を
考える「改過遷善」は、凡人には受け入れられないと今更ながら思う。

ソクジュが良かっただけに、記憶喪失前後の彼を見ているだけで十分楽しめた。
そこに法曹界、検察の腐敗や、さまざまな権力との癒着を現実の事件に重ねてまで
言いたかった事は、リアルな韓国の叫び声にも近く、
それをドラマに描くのは無理があったと思う。
「改過遷善」の放送後に、「このドラマは脚本家あってのもの」と脚本家が絶賛されていたが
私にとっては、脚本家の描きたかった本質の重みにドラマが押しつぶされた気がしてならない。

その重みに押しつぶされない唯一の方法が無用な伏線は潔く切り捨て
本質を一本化し、視聴者に明確にすることだと強く思うのである。















cookpine at 13:18|Permalink改過遷善 

2014年12月05日

未だ考え中


「改過遷善」をKNTVで視聴されて、Jewel的呟きを覗いてくださる皆さまには
かつての記事でしかお付き合いできず、少し申し訳なく思っております。
リスタートで、再度視聴しようと思っていたのですが、どうも進まない、、、

ただ、ずっと考えているのです。
パズルの最後のピースが嵌ったのに、何だかどこかが違っているような、、、
何なんでしょうね、この気持ち
「改過遷善」を通してのミョンミンさんの演技は見事だったと誰もが思う。
でも、ドラマ単位で考えた時に今でも「何だったんだろう、、このドラマ」と思ってしまう。

ドラマが意図することなど何もないドラマの方が多い、、、、
それに終わったドラマと思えば、それでいい、、、
でも、それではもったいないよね、、、このドラマと思ってしまう。
この先の記事で「改過遷善」以外のドラマについて記す予定でいますが
私自身は「改過遷善」については、未だ考え中であるという事を記しておきます。

cookpine at 11:31|Permalink改過遷善 

近い将来の君に会いたかった


13年の時間があれば、新たな展開を考えるには十分すぎる時間かと、、、
また会おう、、13年後の久利生公平☆
でも、その前に今の君を楽しませてもらおうと思う、、、

「HERO」について、こんな言葉を書いたのは3ヶ月前のこと。
と言っている間に、既に師走となっている、、、
そして、忙しいときに限って何かを書きたくなる衝動に襲われる。

ところで、「HERO」が映画として来年公開されるとか、、、、
フジテレビの亀山社長も
「社長としては『なんぼでも作れるだろう』と言ったと言う記事を
随分前に目にすることがあり、オイオイと思っていた。
そして、案の定、早期映画公開の報に接した。

稼げるときに稼いでしまおうーーーそんな姿勢を感じるが
果たして、お金を払って「HERO」を鑑賞する人がどれほどいるだろうか。
13年後の久利生公平☆に拘っているわけではないが、
もっと大切に温め、育ててもいい作品であった気がして残念でならない。

私は、今を生きる久利生公平よりも、時を共に歩む近い将来の久利生公平を
近い将来に楽しみたかったと思うのである。
オープニングの曲を聴いた瞬間に瞬間的にドラマの世界に引き込まれる
今では数少ないドラマなのだから、そんなに急いで何処に行くんだろうか、、、
と少し心配である。





cookpine at 11:15|PermalinkHERO