2014年12月15日

伏線について考える


「君の声が聞こえる」「主君の太陽」を視聴しながら
「改過遷善」を思い出したように無理やり繋げるが
私の隣には「ベートーベン・ウィルス」がいつも居る。
そして、久々に「恋ノチカラ」を視聴した。

ここのところ、立て続けに韓国ドラマを視聴した事も有り
韓流の伏線について考えている。
韓流ドラマは、どこまで広げて張り巡らすという伏線の張り方をする。
ある意味、不必要でしょう、、、という伏線も一応張るのである。
そうなんですよね、韓国ドラマの放送回数延長やストーリーの手直し
そんな日本では考えられない事に対応する為には
不必要と思われる伏線も大切になってくるのだ。

だから、最終回間際になって今まで張り巡らした伏線を「バンバン」と切り捨てる。
それが韓国ドラマの面白さであり、「それ、、どうなりました」なんていう視聴者の
問いかけには見向きもしない潔さが面白くも有る。

しかし、その伏線をバンバン切る捨てる加減が難しいのだろう、、、、
話を複雑にすればするほど、伏線を切れなくなり、描きたい本質がボケてしまう。
これが正しく「改過遷善」だと思う。
このドラマ、盛り込み過ぎだし、何を言いたかったのか今になっても分からない。

「改過遷善」で描きたかったことを貫くためなら、父子の対立もある程度のところで
止めてしまう勇気が有ってもよかった気がする、、、。
背景としては重要であっても、ホームドラマではなくヒューマンドラマである「改過遷善」では
少なくとも最後は描きたい本質をもう少し視聴者に示す優しさがあってもいいと思う。
この中途半端さでは、ホームドラマにもヒューマンドラマにも値しなくなる、、、。

で、久々に視聴した「恋ノチカラ」であるが、私的には日本で1番好きなドラマであり
思い入れも強いのだが、このドラマに伏線の使い残しは存在しない。
要するに日本のドラマは計算しつくされ、広げた伏線は綺麗に使い切る、、、。
使い切らなくても、視聴者に「あれ、どうなりました?」なんて疑問は残させない。
それが面白いのか、面白くないのかが今の日本のドラマを語るテーマにもなりそうだが(笑)

そして、思い残すことないほどに「観終わった」感を感じるのが日本のドラマである。
しかし、その一方で韓国ドラマのように、その後の展開を彷徨ったりということは
余りないような気がする、、、。
伏線の使い方と、そこから感じる余韻も人好き好き、、、。
、、でも、視聴し終わり、ドラマからテーマを与えられた気分で考え続ける事はあっても
残された伏線やゴールへ到達するために急ハンドルを切られた気持ち悪さの理由を
考える「改過遷善」は、凡人には受け入れられないと今更ながら思う。

ソクジュが良かっただけに、記憶喪失前後の彼を見ているだけで十分楽しめた。
そこに法曹界、検察の腐敗や、さまざまな権力との癒着を現実の事件に重ねてまで
言いたかった事は、リアルな韓国の叫び声にも近く、
それをドラマに描くのは無理があったと思う。
「改過遷善」の放送後に、「このドラマは脚本家あってのもの」と脚本家が絶賛されていたが
私にとっては、脚本家の描きたかった本質の重みにドラマが押しつぶされた気がしてならない。

その重みに押しつぶされない唯一の方法が無用な伏線は潔く切り捨て
本質を一本化し、視聴者に明確にすることだと強く思うのである。















cookpine at 13:18│改過遷善